夢を追い続ける元ソフトバンク・オリックス馬原さん 変わらない直球勝負な生き方
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1473912763

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1:名無しさん@おーぷん:2016/09/15(木)13:12:43 YRS

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160915-00000094-spnannex-base

オリックスを退団し、昨年12月に現役を引退。野球解説者や講演会の依頼も多々あったが、全て断り、4月から「九州医療スポーツ専門学校」に入学した。
柔道整復師と鍼灸師の国家資格取得を目指して猛勉強中。
「資格取得まで3年。とにかく3年、頑張ろうと思っています。夜に学校に通って、昼間に復習して、試験前はずっと勉強していますよ」。
聞けば、かなり膨大な勉強量のようだ。200ページ超の教科書は10何冊もある。それでも、満点近くをたたき出し1位だったテストもあるというから、さすがだ。


頑張れマハラジャ


8:名無しさん@おーぷん:2016/09/15(木)13:16:03 YRS

そして13年、オリックス移籍1年目の3月。運命を変える負傷を負った。
「右鎖骨下にある腕神経叢の炎症」。日本球界では聞いた事がなく、メジャーリーグでも数例しかない症例だ。
ケガの回復につながればと英語の文献まで取り寄せて研究したが、右腕のしびれは消えず。何カ所も治療院を回ったが、良くなる気配は一切なかった。

13年オフは個人トレーナーと二人三脚で、マッサージやストレッチなどを追求した。毎日5時間、3~4カ月を費やした。
迎えた14年。「一日でもトレーニングを抜くと、投げられない日々だった」という中で、自己最多の55試合に登板。選手生命の危機から、見事にはい上がった。
ちなみに「右腕のしびれは、今でもなくならない」と右腕を見せてくれた。人間の体の限界を超えていたのかもしれない。体のことを、もっと勉強したくなったきっかけだ。


9:名無しさん@おーぷん:2016/09/15(木)13:18:34 YRS

正直、いつかはユニホームを着た指導者の彼と、グラウンドで会えると思っていた。ふと、昨年9月の、あのときのことを思い出した。
左膝のケガがあった馬原に対し球団は年俸1億3500万円(推定)からの1億円以上のダウン提示。戦力外通告と受け取った馬原は退団を決意した。
神戸を去る直前、無理だと分かっていたが、「辞めないでほしい」とストレートに思いをぶつけたことがあった。それでも、彼は静かに思いを語った。

「別にオリックスに恨みなんてないんです。仕方のない事情があるんでしょう。ソフトバンクでクローザーになって、結果が出なくなったときは、辞めるときと決めていたので」


カッコE


11:名無しさん@おーぷん:2016/09/15(木)13:19:43 YRS

バカなやつだ。あれだけ頑張った14年オフに、複数年契約を結んでおけば、こんな事にはならなかったのに。
ソフトバンク時代のインセンティブ(出来高)契約も自ら放棄し、1年勝負という信条を曲げなかった。

もっとバカなのは、オリックスだ。こんな人材、望んでも2度と手に入らない。
FAの人的補償で獲ったとはいえ、これも縁。特に、若くてケガに悩む選手には、いいアドバイスを送れただろうに。
どんな形でも、チームに残す形はなかったのか。あの時、神戸を去っていく馬原の後ろ姿を見て、無性に寂しくなった…。


14:名無しさん@おーぷん:2016/09/15(木)13:26:28 YRS

ちなみに2007年の4イニング投げたというのは9月24日の対日ハム戦
4回被安打4四死球1奪三振1で無失点に抑えている、ちな連投


21:名無しさん@おーぷん:2016/09/15(木)13:31:23 5ul

鉄平の満塁ホームランの時は泣いたわ


27:名無しさん@おーぷん:2016/09/15(木)13:43:44 PXR

馬原の0球とか悪い夢とかばっかり印象に残ってるけど
打たれた翌日平然と出てきてさらっと四人で抑える所格好良くて大好きやった


28:名無しさん@おーぷん:2016/09/15(木)13:44:57 qBa

トレーナーとして帰ってきたりはせんのかな…


29:名無しさん@おーぷん:2016/09/15(木)13:48:05 NZD

今でも「We Will Rock You」が聞こえて来るやね~


31:名無しさん@おーぷん:2016/09/15(木)14:15:08 ace

馬原さんマジでカッコいい


33:名無しさん@おーぷん:2016/09/15(木)14:27:14 76Y

カッコE
見習わなあかんね